咸臨丸渡米150周年
今から150年前、1960年3月17日にわが国の軍艦咸臨丸が始めて太平洋を横断して、米国サンフランシスコ港へ航海した。
この偉業を記念して、丁度150年目に当たる3月17日にサンフランシスコ港に記念の銘板が設置され、長嶺安政サンフランシスコ総領事や地元日系人、港湾関係者ら100人以上が出席して式典が行われた…、と共同通信が報道していた。
銘板は縦約45㎝、横約70㎝の青銅製で150年前に咸臨丸が着いた地点近くにある桟橋前の路上に埋め込まれた、とある。
咸臨丸は1956年オランダ製で620トン、100馬力の木造蒸気船で3本マストである。
安政7年1月19日に浦賀を出帆して、2月26日にサンフランシスコへ着いたが、途中ひどい嵐の連続でマストが1本折れたのをはじめ船体の損傷もひどく難破船同然の状態となり、しかも乗員は中浜万次郎を除いて全員がダウンしてしまった。
同乗していたアメリカのブルック大尉と10人の兵士のみによって、なんとかサンフランシスコへ到着した。しかしこの事実は、リーダーシップの発揮出来なかった軍艦奉行木村摂津守、さんざん威張っていたが行動力0点だった勝麟太郎等の名誉を傷つけないように、そして日頃よりの対アメリカ人感情等々により戦後まで一切伏せられていた。
航海中に過労で死亡した3人の水夫はサンフランシスコで埋葬された。
傷みのひどい咸臨丸はブルック大尉の好意で海軍工廠で修理を受け、費用は全額米国が負担した。
またブルック大尉には、この渡米の直前までジョセフ・彦も世話になっていた。
※ 日付は米国側は米国時間、日本側は旧暦とした







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