播電鉄道100周年
今から丁度100年前、明治42(1909)年1月、茶色の車体で窓をクリーム色に縁取ったハイカラな40人乗りのチンチン電車が網干の北の片田舎にデビューした。
網干駅~龍野間6.5㎞を10銭で走った。
兵庫県下では阪神電車に次いで2番目、全国では22番目の電車しかもレールは広軌だったそうである。
以後拡張されて網干港~觜崎まで延長されたが、経営は至って苦しく何度も社名が変った。車両の修理すら出来かねて車中で日傘、雨傘が要ったとか。
昭和9(1934)年12月ついに実働25年で生涯を閉じた。
現在ほんの僅かではあるが、軌道跡が残っている。写真の場所はJR 網干駅の北約300メートルの川沿いで、先だって河川改修が行われた際にも地域の方の努力によって保存されているものである

太子町鵤に播電本社と停留所があった。本社跡付近に現在福本歯科が建てられている、その玄関前に当時の電車のレールが展示されている。
投稿: 門田繁美 | 2010年1月30日 (土) 12:07